はやく許してくれ

生き恥に心をすり減らした凡愚のチラ裏

お前の戦場

セキュリティの行き届いた築浅で100平米近いマンションに暮らしている。

街中を歩くことは即ち犯罪に遭いにいくような治安の国の中で、いま私は紫煙を燻らせながらウイスキーを飲んでいる。事の始まりは、北欧の平和な中、名目ばかりの「在宅勤務」を言い訳に真昼間からソファに寝転がってYoutube鑑賞と昼寝の怠惰な日々の最中に訪れた。

「アフリカに行ってくれ」

不意に上司からかかってきた電話には、拒否権という言葉自体が存在すらしないような、そうした冷酷な雰囲気が漂っており、私は震えながら「1日だけ考えさせてください」と返すので精一杯だった。

弊社には世界中に支社があり、私はSEとしてその支社に、誰でもできるような、しかし現地にいないと出来ないような、人柱としての仕事に身を置いている。当然、アフリカにも支社はあるが、そんなところは遠い世界のように感じていた。

「アフリカに行ってくれ」

仕事をせずにYoutubeを昼間から見ていた代償だろうか。しかし東京時代に払われなかった残業代を想えば、それは妥当な権利にも思う。そんな身勝手な想像は意味をなさず、一晩悩んだ私は翌日に上司の元に足を運び、「行かせてください」と返事をした。私はどこまでも愚かしいサラリーマンだった。

 

アフリカに到着し、最初にしたことは新しい上司の家での飲み会だった。詳細は割愛するが、帰宅した私は退職願の書き方を全力で調べた。その程度に、ここでの暮らしが最悪になるものだと実感したらしい。

インフラが脆弱、そう一言で言い表すのは容易だが、百聞は一見に如かず。

電気と水道が週に数回は止まり、インターネットは不安定、500kbpsも出れば「今日は調子が良いな」と思う日々の中での暮らしは、私の精神を蝕むのに充分だったし、そもそも徹夜のフライト明けに朝の10時まで初対面で酒を飲ませ、言いがかりを付けて説教をかますようなオヤジの元で働くなど、元来社会不適合者の私には逆立ちしても無理なことに思えたのだ。

そうした絶望に身を包み半年近くが過ぎた今も、私はアフリカに住んでいる。

我ながら、適応力の強さに慄くばかりだ。

おそらくこの程度の苦しさは大したことではなくて、そもそも容易に水や電気、ネットに「待ちさえすれば」手に入るだけで恵まれているらしい。

3か月後、私は一時的に日本に戻る。その間、きっと日本から出ることは無いだろう。

常ながら、母国語が使える国が世界一平和でサービスが整っていて安いお金で美味しいものが食べられる。そんな国で「不幸」を嘆く人が大量にいることを、面白いと思う。

私も、ずっと不幸と思っていたし、今だってあの時の感情は何も間違ってなかったと思う。

外国の、他人の、苦しい環境の、可哀想な人と比べたところで、日本の、自分自身の、恵まれた環境の、やはり可哀想な人は、ずっと可哀想なままだ。

海外に出て広まった価値観など無いが、強いて言うのであれば、手の届く範囲の幸福だけを大切にする生き方が、最も聡いことを改めて深く実感した。

そして、それができない人間はどこに行けば良いのだろうか。

私の場合、それは人事が決定する。たとえそれが戦場だとしても。