はやく許してくれ

生き恥に心をすり減らした凡愚のチラ裏

ニート時代

 社会人も3年目を迎え、東京にも慣れ、比較的まともな生活を送れるようになった今、ニートをしていた3年前のことをツラツラと語っていこうと思いました。

 

 高校時代、工業高校に通いながら2ch、Twitterニコニコ動画などのインターネットコンテンツを貪っていました。当時は将来の明確な目標も無く、もう消してしまったアカウントで中二病よろしく気持ちの悪い持論を書き並べながら、漠然と「大人になりたくない」と思っていました。

 とにかくモラトリアムが欲しくて、高校三年生のクラスで唯一パソコンの専門学校に進学することを決めましたが、適当な田舎の専門学校に就職先なぞあるわけもなく、勉強もせずにダラダラと生きていたため、1年で中退して見事ニートになりました。19歳のことでした。

 

 いくらでも時間があるのだから、なんでも好きなことが出来る。お金も、アルバイトをすれば手に入るし、実家に住んでいる限り好きなように生きていけると思っていました。漠然とお金を貯め、旅をしたいと思っていた私を待っていたのは、義務を無くした人間には「好きなこと」が何なのか分からないという絶望感だけでした。

 ニートになって二週間ほどは実家から徒歩10分ほどの図書館に通い、小説を読んで時間を潰していましたが、まったく文字が脳内に入っていかず、結局つまらなくなって家に引きこもるようになりました。

 家に引きこもってから、何もすることがなく、ネット上に溢れている漫画やアニメなどを浪費してみようと試みましたが、それすら続かずに、ただただベッドに横たわって流れていく時間に身を任せる日々でした。

 

 毎日、

 

「何をしているんだ」

 

「女手一つで育ててくれた母親にどう顔向けをするんだ」

 

「よくもタダ飯を食えたもんだな」

 

「専門学校の奨学金はどうするんだ」

 

そんな言葉が脳内に溢れかえり、毎日毎日自責の念に駆られるようになりました。

そうして、今のアカウントを作成し、自分を苦しめる言葉から逃げるように気持ち悪い言葉を吐き続けました。

 

 昼間目が覚めてみても、外に出ることは殆ど無く、小中学校の通学路で夢見た「立派な大人像」からはかけ離れ、ひっそりと20歳を迎えた私に、もはや救いはありません。

 

 目が覚めたら痛みを伴うまで自慰をし、母親の買ってきた総菜を部屋で食べ、また横になって眠るだけ。この繰り返しです。

 

 「なんでもできるはずの無限の時間」は「無限に続く苦しみ」となり、

 「大好きなもの」はすべて無くなり、

 「親友」は真っ当に社会に出ているため、気軽に声をかけることもできない。

 

ずっと、誰かに笑われて生きているような気がしてなりません。

学校を中退したとき、「これ以上の底辺は無いだろう」と高を括っていましたが、そんなものは地獄の始まりに過ぎませんでした。

 

 そして、ついに幻聴が聞こえるようになった頃、「このままでは完全に人生が壊れてしまう」という危機感がようやく芽生え、なんとか就活をして社会のレールに戻ってきました。

 

 一か月ほど前、休暇がとれたので季節外れの帰省をしました。

 自分の働いた金で買った服と靴と鞄を持って、懐かしの実家の部屋のベッドに横たわり、「立派な大人になれたね」と、ひとりごちて、酒を呑んで眠りました。

 

 今年で23歳になる人間が発したその言葉は、3年前毎日繰り返していた自慰と、何も変わりませんでした。

 

そして今、当時苦手だったタバコを深く吸い込みながら、東京の片隅にある部屋の中で、この文章を書いています。

 

私は、立派な大人になれたのでしょうか。