はやく許してくれ

生き恥に心をすり減らした凡愚のチラ裏

Twitterに書くには長いひとつの想い

時間が嫌いだ。

ありとあらゆるものを、ゆっくりと壊していくから。

何かを作ったとして、それは「崩壊」の始まりでしかない。

何か歴史に残るような輝かしい偉業を成し遂げたとして、人類が滅びれば何も残らない。

ちょうど今日、私は長く続いた「秘書」という肩書を失った。

なんということはない。新年度の人事異動に伴い、私が秘書をしていた偉い人がいなくなった、それだけだ。

ポストはあるのだから、そこにまた顔も知らない「人」がやってきて、「偉い」ということになり、「偉い人」だから秘書がつく。その秘書が、社内の事情で私ではなくなった。

会社の、人の、学歴の、功績の、それらすべてが寄り合わさり、人間社会において「偉い人」ができあがり、「偉くない」私は「偉い人」や「会社」の都合で立場を変えられる。

肩書を失ったことに関しては、1ミリも悲しいとは思っていない。

ただ、周囲の人は「かわいそう」と思うかもしれない。

人が作り出す、人が紡ぐ、人の歴史や未来の偉業に、まったく興味が無い私は、きっと「かわいそう」と思われるだけ思われて、「かわいそう」な人にされるんだろう。じゃあ仕方ない。かわいそうな人になることを受け入れよう。

 

時間が嫌いだと言ったのは、半分嘘だ。

「時間」が羨ましい。すべてを支配しているから、とても羨ましい。

そんな「時間」も、この宇宙が終わると同時に、流れることを終えるのだ。

 

きっと私は、「時間」になっても、悲観的に流れていくだけなんだろうね。