はやく許してくれ

生き恥に心をすり減らした凡愚のチラ裏

姉と和解しました

お久しぶりです。10か月ぶりくらいでしょうか。酔っ払っているので正確なことは何も分かりません。言いたいことはタイトルにそのまま記載してあります。

姉とは私がまだクソ田舎の実家に居る7年か8年前に、確か当時はまだガラケーの時代で、アメピグで出会った男と駆け落ちみたいな形で結婚し、家を出て行ったときに顔を合わせたのが最後です。

姉は母親の甲斐甲斐しい教育(週六での塾強要、厳しい門限、家庭内での差別など)のおかげで、立派な勉強嫌いに育ちました。そんな姉の姿を見て、私は平均点以上の成績を常に収めることに終始するだけで、母親に褒められる(相対的に姉を貶す)子供時代を過ごしました。

ひとえに勉強嫌いと言っても、それは成績が悪いことに留まらず、そこに起因する家庭内における母親からの不承認的な発言を多々受けた結果、自分の頭を使って物事を考える能力というのが欠如したのが私の姉という存在です。いうならば被害者です。

そんな姉が、インターネットを通じて自分の理解者を見つけました。姉の旦那です。いえ、離婚したので元旦那と呼ぶのが正しい。

元旦那は、生活費やギャンブルで作った借金が一千万以上ある男で、姉は元旦那のために様々な方法で借金を繰り返し、姉も元旦那も自己破産しているという、折り紙付きのクソカップルでした。

結局、元旦那のDVに嫌気が差し、姉は2歳の娘を連れて実家に帰り、離婚しました。今でも貯金残高はそこらへんの小学生ほどもないでしょうが、何とか実家で暮らしている状況です。

そんな中、正月よろしく、職場のプレッシャーに負けて私は実家に帰りました。8年ぶりに合う姉は記憶とそう相違なく、正確は小学生低学年のころから持つ特徴のまま変わらず、会話の度に甲高い声でヒステリックなものでした。しかし、当時の私も中二病のような周囲よりも頭が良い(と思い込んでいる)ことに感けた言動をしていたことが不仲の原因だったらしく、数多のメンヘラの相手をした私は「流す」という能力を遅かれながら身に着けていました。

姉とのコミュニケーションは最低限にしつつ、姉の娘、私にとっての姪が間を取り持ってくれました。告白します、私は子供が大好きなようです。愛おしく、単純で、生きる上で周囲を頼らないといけない存在。可愛くない筈がありません。出来損ないのメサコンは全員子供を作れとさえ思いました。

 

姉と過ごした時間は4日程度でしたが、姪が寝静まった頃には姉と二人でビールで晩酌し、母や記憶にない父の話で盛り上がりました。きっと、和解したのだと思います。

8年間。24歳の私にとっては人生の三分の一にあたる時間です。決して短いとはいえない時間を埋めてくれたのは、姪の存在でした。大人たちの事情は関係なく、食事は食べたくなければひっくり返し、イタズラもし放題。加えて姉も決して大人とはいえない方法で姪を叱る。しかしそこに本能的な母性は存在する。絶妙に、ギリギリにバランスのとれた状態で、姉とのコミュニケーションを取るための鎹となってくれました。

子は鎹、云ったものですね。痛感しました。

今では、次に実家に帰るのを楽しみにしている程です。

姪の成長が楽しみで仕方がない。結婚の兆しも見えない私からすれば、うん、最高に楽しみです。

 

姉よ、過去のことは全部水に流そう。母の残すであろう数千万円の実家のローンについてのみ、そこの相続権にのみ、話をしよう。どうせ東京にいる私にその家は不要だから、ローンと固定資産税だけ払ってくれ。それがどうしても無理なら、援助する。私にもそれだけの金と、あなたの娘の生活を思いやるだけの余裕はある。

 

姪よ、あなたの母はどうしようもない人間だ。けど母も貴女も悪くない。誰も悪くないんだ。貴女はきっとロクでもない教育を受けるだろう。もしかしたら人生に絶望する日が来るかもしれない。その日々が終わる保証は全くできない。だけど、あなたには金の力ですべてをリセットできる程度の叔父が居る。そのことを貴女に自我が宿ったときに伝えたい。

 

家族が仲良くあれだとか。拠り所になるべきだとか、そういことは言えません。

ただ、否が応でも人生は続いていくし、自分の為だけに使いたいと思う時間や金は、そう多くはなく有り余る。そんなとき、余ったそれらをどう使いたいか。そこに私は、姪の自我が宿るまでに考えていきたいと強く思わずには居られません。

再確認

お久しぶりです。

思えばこのブログを開き、自身の身に起きたことを語るときはいつも、寂しさに襲われているときでした。太宰は水商売の女の隣で「侘しい」と呟きましたが、隣に誰も残存しなかった私ができる言葉は「寂しい」の一言に尽きるようです。

今の会社に入社して4年目を迎えました。企業としては幅が広く、一度も顔を合わせない「同期」という存在が何百名も存在しているらしく、横のつながりは無くとも、縦社会が身に染みた若者たちは、たかだか1、2年の入社時期の差異だけで、私を先輩として崇めてくださるようです。

というのも本日、縦社会よろしい弊社Gが合同になって1日のみ行われるプロジェクトがございまして、私は本番の応援要員に呼ばれることになりました。初めて顔を合わせる若手たちは、皆このような場は初めてらしく、名刺も普段持ち歩かぬ新人のようでして、挨拶の度に名刺を持参していないことを恥ずかし気に語られ、4人目にして私は名刺を交換するのではなく配り歩く日になると悟り、最終的に1人とだけ名刺を交換いたしました。そして滞りなく業務を遂行し帰路に着くことができました。

グループ内の別企業でも縦社会はキッチリと管理されているらしく、参加者の中では入社年次が厭に高い私は、敬われることとなりました。さながら裸の王様の如きです。

普段は書類仕事に追われている人間達ですから、このような現場での実務というものに随分と不慣れなようでして、名刺のことなど頭の片隅にも無い程に皆不安を一様に浮かべておりました。そういえば結局寝坊をし来れなかった者が居りましたが、おそらく目覚めは最悪だったことでしょう。土曜の早朝に業務が始まったこともあり、さぞ週明けの月曜日は憂鬱だと思いますが、私には露知らずのことです。

さて仕事ですが、渡された業務のマニュアルを読むに、やはり差し当たって難しいことは書かれておりません。これだけの規模で、説明も前日に、大きな会議室で1時間ほど概要を一方的に伝えられた情報と、マニュアル以外は持ち合わせておりません。つまるところ、身分が割れており最低限のマナーやモラルを取りそろえた人間であれば、誰でも良かったのです。結局大企業が声を大にして叫ぶ「ソリューション」というものは1人の天才の発明を1000人の凡愚が大々的に人海戦術を用いて遂行するものなのです。

渡されたマニュアルは全部で100ページ程に及んでおり、よく読むと必要箇所はほんの3ページほどという有様でした。最低限の流れだけを頭に入れましたが、私に求められているのは英語によるコミュニケーションスキルでした。つまるところ英語で日常会話を多少すればお役御免とのことです。語学力に一抹の不安のある私は憂鬱な気分でしたが、海外旅行で適当なコーヒーチェーンに数度入ったことがあれば事足りるようなレベルの会話だけで問題なく、あとはただただ暇を持て余しておりました。

暇を持て余し、若手に持て囃される若者が取る行動と言えば、ただ一つ。

調子に乗ることでした。

私は立ち仕事のストレスも相俟り、饒舌に「必要なことをしていれば良いのだろう」と大口を叩き、事実求められる業務は遂行しつつも、下の2人ほどの人間に対し2時間ほど与太話をし続けました。さぞ目立っていたことでしょう。

帰路に着く寸前、連絡先を交換し、今度酒でも飲みましょうと約束をしましたが、なるほど独りになってみると、確かに助けに来てやっている立場ではあるが、本当に調子に乗りすぎたと猛省をいたしました。

心なしか帰り際の1日限りの上司の目線も冷たく、「お疲れ様」と渡された弁当と茶は生温く、また「やってしまった」という想いが胸中を巡りました。

 

慣れた場で、持て囃され、調子に乗る。

本当に、滑稽で愚図の極みであることを痛感いたしました。

結局私は、その程度の人間なのです。

その程度の人間であるだけならともかくとし、そこを中途半端に反省するような人間であるから問題なのです。

 

下の二人と交換した連絡先からは、未だ返信がございません。

やはり喧しく、五月蠅く、鬱陶しかったのです。

 

そうしてようやく私は、久方ぶりに強い寂寞を感じ、本日心の埋め合わせに筆を取りました。せめて顔も知らぬ他人であれば慰めの一つでも貰えるのではないかと考えて。

さながらその姿は、どう見てもやはり、裸の王様でした。

利害関係

2018年も始まりまして、多くの人は「新年の抱負」といった形で、過去を振り返り、目標や諦念を決めるのでしょう。

別段、そういった抱負のようなものも無く、考える気もありませんでしたが、唯一私が購読をしている方のブログが更新されておりまして、そこに書かれた言葉が何かを彷彿させたので筆を取った次第です。

 

「わたしは利害関係のない人間関係は存在しないと思っている。」

 

昔、Twitterで繋がっていた人の言葉です。

最近、書かれた言葉なので、今の書き手の信条はきっと変わっていないと思います。

この言葉の意図は、以下のように続いています。

 

子にしろ友人にしろ恋人にしろ、「自分の生んだ子だから」「気が合うから」「一緒にいたいから」という理由すら、わたしは利害関係と捉える。

生んだ子だから育てる、代わりに子のかわいさを甘受する。

気が合うから一緒にいる、だから共に出かけるための相手ができる。

一緒にいる、だからひとりになることはなくて安心する。

わたしはこれを、気持ちのよい利害関係だ、と思う。

 

ちょうど私が18歳になる頃、ひとりで抱いていた考えとまったく同じでした。

同じように、私が人助けをするときも、利害関係を意識します。

何も、助けることによって謝礼を貰いたいわけではありません。

例えば目の前にケガをした子供が居たとして、事案だとか、そういった事情を排除すると、必ずと言っていい程に私は「大丈夫?」と声を掛けますし、可能な範囲でケガの消毒だとか、自分でどうにもならない範囲であれば「近くに保護者は居ますか?」と周囲の助けを探ったり、病院に連絡しようかなど、試案します。

思うに、これは善意です。

では、この善意の発生源はどこなのかと考えたところ、それは「痛みの共感性」にありました。

端的に言って、「痛い」と訴えている人の感情に触れると、私は似たような痛みを覚えるようでして、その「自分の痛み」を取り除くために、手助けをしているみたいです。

これも立派な利害関係ですね。

これは子供に限らず、ホームで寝ている泥酔者を介抱する時や、寒い中外で働いている人を見た時も、手を差し伸べたり、温かみのある言葉をかけたりしています。

 

外面や行動だけみたら、「善人の行動」だと扱ってくれるかもしれません。

 

大抵はこういう話をするとこれもまた「冷たくて寂しい考え」と言われるが……。

 

そして、この言葉のとおり、この考えを誰かに説明すると、同じようなことを何度も言われました。

 

普段から他者への共感性が乏しく、誰かに手を差し伸べられない人は、差し伸べる人に対して「無償の愛」を妄想しているのだと思います。もしくは、そうであってほしいと思っているのでしょうか。

 

そして、共感性に乏しいからこそ、この手の考え方を「冷たい」「寂しい」と揶揄するんだと思います。

みんな、自覚せずにやっている癖に、知らなければ悪くは無いと平気で思っているみたいですね。

 

こういった思想の乖離に気付く度、「冷たいのはどっちでしょうか」と心に靄が立ち込めていました。

 

今は、昔以上に周りへの興味が失せてしまっているようでして、多くの失意や悲しみが「諦め」に変わったり、忘却の彼方に行くことが増えてしまいました。

それでも私はこれからも、同じように偽善者みたいなことを続けていくと思います。

 

最後に、人を助けるときは、お金を貸す時のように「あげた」つもりになることが大事だと思っています。善意を「あげる」んです。

今のところ、100人に良いことをして、御礼の言葉はほぼすべての人から返ってきます。

行動で返してくれる人は、3人も居れば幸運でしょう。

そして、大体10人ほどの人が、仇で返してきます。

 

この事実に憤りを感じなくなることが、随分と消極的ではありますが、2018年の抱負ということにして、更新を終わらせていただきます。

 

それでは。

 

Twitterに書くには長いひとつの想い

時間が嫌いだ。

ありとあらゆるものを、ゆっくりと壊していくから。

何かを作ったとして、それは「崩壊」の始まりでしかない。

何か歴史に残るような輝かしい偉業を成し遂げたとして、人類が滅びれば何も残らない。

ちょうど今日、私は長く続いた「秘書」という肩書を失った。

なんということはない。新年度の人事異動に伴い、私が秘書をしていた偉い人がいなくなった、それだけだ。

ポストはあるのだから、そこにまた顔も知らない「人」がやってきて、「偉い」ということになり、「偉い人」だから秘書がつく。その秘書が、社内の事情で私ではなくなった。

会社の、人の、学歴の、功績の、それらすべてが寄り合わさり、人間社会において「偉い人」ができあがり、「偉くない」私は「偉い人」や「会社」の都合で立場を変えられる。

肩書を失ったことに関しては、1ミリも悲しいとは思っていない。

ただ、周囲の人は「かわいそう」と思うかもしれない。

人が作り出す、人が紡ぐ、人の歴史や未来の偉業に、まったく興味が無い私は、きっと「かわいそう」と思われるだけ思われて、「かわいそう」な人にされるんだろう。じゃあ仕方ない。かわいそうな人になることを受け入れよう。

 

時間が嫌いだと言ったのは、半分嘘だ。

「時間」が羨ましい。すべてを支配しているから、とても羨ましい。

そんな「時間」も、この宇宙が終わると同時に、流れることを終えるのだ。

 

きっと私は、「時間」になっても、悲観的に流れていくだけなんだろうね。

ニート時代

 社会人も3年目を迎え、東京にも慣れ、比較的まともな生活を送れるようになった今、ニートをしていた3年前のことをツラツラと語っていこうと思いました。

 

 高校時代、工業高校に通いながら2ch、Twitterニコニコ動画などのインターネットコンテンツを貪っていました。当時は将来の明確な目標も無く、もう消してしまったアカウントで中二病よろしく気持ちの悪い持論を書き並べながら、漠然と「大人になりたくない」と思っていました。

 とにかくモラトリアムが欲しくて、高校三年生のクラスで唯一パソコンの専門学校に進学することを決めましたが、適当な田舎の専門学校に就職先なぞあるわけもなく、勉強もせずにダラダラと生きていたため、1年で中退して見事ニートになりました。19歳のことでした。

 

 いくらでも時間があるのだから、なんでも好きなことが出来る。お金も、アルバイトをすれば手に入るし、実家に住んでいる限り好きなように生きていけると思っていました。漠然とお金を貯め、旅をしたいと思っていた私を待っていたのは、義務を無くした人間には「好きなこと」が何なのか分からないという絶望感だけでした。

 ニートになって二週間ほどは実家から徒歩10分ほどの図書館に通い、小説を読んで時間を潰していましたが、まったく文字が脳内に入っていかず、結局つまらなくなって家に引きこもるようになりました。

 家に引きこもってから、何もすることがなく、ネット上に溢れている漫画やアニメなどを浪費してみようと試みましたが、それすら続かずに、ただただベッドに横たわって流れていく時間に身を任せる日々でした。

 

 毎日、

 

「何をしているんだ」

 

「女手一つで育ててくれた母親にどう顔向けをするんだ」

 

「よくもタダ飯を食えたもんだな」

 

「専門学校の奨学金はどうするんだ」

 

そんな言葉が脳内に溢れかえり、毎日毎日自責の念に駆られるようになりました。

そうして、今のアカウントを作成し、自分を苦しめる言葉から逃げるように気持ち悪い言葉を吐き続けました。

 

 昼間目が覚めてみても、外に出ることは殆ど無く、小中学校の通学路で夢見た「立派な大人像」からはかけ離れ、ひっそりと20歳を迎えた私に、もはや救いはありません。

 

 目が覚めたら痛みを伴うまで自慰をし、母親の買ってきた総菜を部屋で食べ、また横になって眠るだけ。この繰り返しです。

 

 「なんでもできるはずの無限の時間」は「無限に続く苦しみ」となり、

 「大好きなもの」はすべて無くなり、

 「親友」は真っ当に社会に出ているため、気軽に声をかけることもできない。

 

ずっと、誰かに笑われて生きているような気がしてなりません。

学校を中退したとき、「これ以上の底辺は無いだろう」と高を括っていましたが、そんなものは地獄の始まりに過ぎませんでした。

 

 そして、ついに幻聴が聞こえるようになった頃、「このままでは完全に人生が壊れてしまう」という危機感がようやく芽生え、なんとか就活をして社会のレールに戻ってきました。

 

 一か月ほど前、休暇がとれたので季節外れの帰省をしました。

 自分の働いた金で買った服と靴と鞄を持って、懐かしの実家の部屋のベッドに横たわり、「立派な大人になれたね」と、ひとりごちて、酒を呑んで眠りました。

 

 今年で23歳になる人間が発したその言葉は、3年前毎日繰り返していた自慰と、何も変わりませんでした。

 

そして今、当時苦手だったタバコを深く吸い込みながら、東京の片隅にある部屋の中で、この文章を書いています。

 

私は、立派な大人になれたのでしょうか。

 

このブログのタイトルについて

とりとめて書くことが起きていないので、昨日思い付きで作ったこのブログのタイトルについて書いていこうと思う。

そもそも、私は文章を書くときに格好つけることをあまりしたくなかった。

ツイッターを始めたのも、とにかく自分のストレスを包み隠さずシャウトするためだったし、もし超絶暇人がいれば私のツイートをずっと前から遡ってくれても良いけど、全てがコンプレックスへの嘆きや絶望をネガティブに書きなぐるか、自分を慰めたり戒めたり笑ったりといったことをずっと最初からツイートし続けている。

今はメンヘラ界隈に身を置いて、というかメンヘラの人たちと積極的にかかわるようにして人間関係を構築しつつあるけれど、本来これはとても不本意なことだと考えている。自分の気持ち悪い本音を包み隠さずインターネットにシャウトするのは良い。見知らぬ人にそれを見せつけることは一種の快感でもあった。しかしそれが人間関係を伴うとなると話は別だ。

人間を信頼していないわけでもない。むしろ信頼している方だ。性善説信者だ。

だけど、自分の恥を知人に見せつけるほど理性が崩壊しているわけでもない。親しき中にも礼儀ありとは言ったもので、長い関係を紡ぐ人に対しては、秘密の共有よりもむしろ、秘密を持つことの許容が必要だと思っている。

だからこそ、いつか崩壊することを前提とした、いわゆる「破局を前提に付き合う」という、昔付き合っていた恋人が離れる原因となった信条を抱えることで、私は今も自分の生き恥を、コンプレックスを、醜い自我を見せつけることができている。

閑話休題。ブログのタイトルについてだったね。

文章を書く、人に「自分」を見せつけることの意味については書いた通りで、それはツイッターに限った話ではなく、ブログでも同じだと考えた。

ツイッターではメンヘラが「死にたい」「生きているのがつらい」とよくツイートしているけど、私にとっての「死にたい」は「自分の都合よく物事が運んでいってほしい。せめて最悪なケースだけは回避して物事が収束してほしい」という意味で、それは詰まる所、失敗を容認してくれということで、もうそれだけ精神の安寧は保たれる。

私が一番恐れるのは、存在を許容されず、12歳にして学校にも家にも物語の中すらも居場所を失った孤独感だ。

そして、私の性格は詰めが甘く、そのせいで舐めてかかって失敗するような、仮に成功しても自分の努力を「こんなの全然大したことないですけど?w」って言うことで安い虚栄心を満たすような奴だ。

そんな奴は超有能でない限り好かれることはない。

そうしたクソみたいな性格と過去を持つ無能で凡愚な人間が、ずっとずっと心に抱えていて、一生現実世界では理性が邪魔して主張できないような言葉が、

 

「はやく許してくれ」

 

だったんだ。

私の醜い信条を書きなぐるブログのタイトルに、これ以上ふさわしい言葉はない。

そう思ったんです。